床にかぼちゃから型取りした焼き物のハスの花が並び、その鮮やかでとりどりの色彩が即座に目に飛び込んでくる。ハスの花は小さな座布団にのせられて鎮座しているが、座布団の色彩、形がまた凝っている。着物の柄であろうか、様々な模様の付いた布を特徴ある形に断って作った座布団は、古風でありながら、その形ゆえか、どこか今風のキッチュな感じをもっている。これらの、座布団にのったハスは、畳敷きで庭園風にしつらえられた場所に配されている。また、壁にも神棚を模した台などが設置され、そこに果物や野菜から型取りした焼き物がのせられている。
新村は、「焼き物は酸化することで年をとるという点で人間と同じ」と語っている。この言葉から彼が焼き物を生命あるものとして表現しようとしていることが推し量れる。それゆえ、彼は焼き物であるからこそ表現しうる質感、雰囲気などにこだわるのであろう。そして、そのような焼き物という表現方法は、ここで、ハス、座布団、畳、神棚などの日本的なモチーフとの出会いによって、新しい方向性を獲得しているといえるだろう。ハスというモチーフからは、容易に宗教的な視点を連想することができるが、ここでは、仏教と神道、日常と祝祭、男性的なものと女性的なものがせめぎあいながら共存し、多様な意味合いを含む空間が作り出されている。
中でも、壁に展示された焼き物が男性器と女性器の象徴と解釈され得ることは、この展示のポイントといえるだろう。男性器、女性器という自然の中の神秘が展示の中に入り込むということによって、その空間はさらに奥深い意味を有することとなる。
新村の作品の中に表れる意味の錯綜は、異なる時代、異なる宗教、異なる場、など様々な次元において我々の意識を行き来させつつ、最終的には自然の神秘の中へと沈潜させてゆく。多様な視点の織物のような様相は、焼き物という素材を機軸にしつつ、その展示空間の中に一つの宇宙を作り出しているともいえるだろう。焼き物がもつ生命感と、男性器・女性器が含有する生命の神秘は、相通ずる意味を持ちながら、展示全体の総括的な意味として立ち現れることになるのである。
現代アートの方法として焼き物を使用することは珍しいことではないが、焼き物の内包する性質を作家なりの視点で突き詰め、他のモチーフと共に展示全体を覆う大きな意味へと収斂させているところに、新村の独自性を見ることが可能ではないだろうか。また、焼き物自体が古くて新しい素材であるということを、この展示が一目瞭然の図示のように示しているのも面白い。この作家の極めて現代的な感性は、焼き物という古くて新しい素材を自在に変貌させる柔軟性を有している。
今回の展示から発展してさらに様々な焼き物の観せ方が考えられるのではないだろうか。古い因習から解き放たれた作家の感性によって今後作品がどのように展開するか、興味深いところである。
文 原沢暁子 Akiko Harasama 名古屋市美術館学芸員